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ホワイト企業なんて面白くない。僕がホワイト企業を1年で退職する決意をした理由。

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どうも髭メガネです。

世の中、様々な職種がありますよね。

金融業・製造業・小売業・運輸・エンターテインメント・教育などなど、さらに細分化してしまうと、業種・職種はキリがありません。

その中で、企業や職種によって、様々な働き方があります。

長時間労働を強いられたり、無茶なノルマを課されたり、あるいは顧客からの無茶な要望があったりして、いわゆる「ブラック」な働き方をして、毎日疲弊し続けている人も多いかと思います。

一方で、働き方に無茶な部分がなく、いわゆる「ホワイト」な職場で仕事をしている人も大勢いるかと思います。

かくいう私も、新卒で入社した会社では「ホワイト」な働き方をしていました。

残業もなく、給料も十分にあり、営業ノルマも厳しくなく、多少のミスがあっても責められることがなく、会社に行くのが全く苦ではありませんでした。

そんな私は、その会社を2年ほどで退社しています。

今回は、なぜ私がホワイト企業を2年で退社した理由を紹介していきます。

どのような就職活動だったか

私は、名前を言えばたいていの人が知っているような大学を卒業しました。

私の時代には、大学3年生の12月から就職活動の情報が出始め、4年生になる4月から面接が解禁でした。

今の時代も変わりがありませんが、当時も就活アドバイザーやインターネットの情報で「就活の軸」を決めるべきであり、そのための「自己分析」をするべきだという文言が溢れていました。

自己分析をしてもよくわからない

私も自己分析をするために、自分の過去を振り返ったり、行動を振り返ったり、いろいろなことをやりました。

しかし、やればやるほど自分という人間は一体どのような考えのもとに行動を起こし、なにを人生で求めていて、最終的にどういう風になりたいのかなど、さっぱりわからなくなってしまいました。

そのため、自分がどのような会社で働きたいのかなんて全く見当もつきませんでしたし、「就活の軸」とやらも全然ありませんでした。

手当たりしだいにエントリーシートを提出しまくる毎日

それでも、就職活動はどんどん進んでいきました。

大学時代に頑張ったことなども特にないので、いくつかやっていたアルバイトでの活動を1000倍くらいに誇張したり、入ってもいないサークルの会長になった話を創作したりしたエントリーシートを書きまくりました。

もちろん心の中では(こんなのでいいのか?)とか、(くだらないなあ)とかを思いながらやっていました。

面接解禁。内定がないまま7月に。

そのため、いざ面接が解禁となってからは、落ちに落ちまくる日々で、4月にはスケジュール帳を埋めていた面接予定も、だんだんと白紙の日が増え始め、気づいたら内定もないまま7月となっていました。

私がなかなか内定を取れない中、友人たちは5月には内定を取っていた状況もあり、どんどん就職活動に対するやる気が失われていくのでした。

嘘をつかずに面接に挑んで内定をもらう

7月に入り、友人たちも就職を決めて、卒業旅行だなんだと話題が変わっていく中で、自分は内定が決まっていない。

そうなると、だんだん自暴自棄になるというか、就活に対しての気持ちがどんどん薄れていきました。

そういう中で、これまで創作してきた話をでっち上げていたエントリーシートを送っていましたが、もうどうでもいいやと、ありのままにエントリーシートを記入し、ある商社にエントリーしました。

するとラッキーなことに書類選考を通過し、面接に進む連絡がありました。

嘘のないエントリーシートで面接に進んだ手前、面接でもありのままに話す必要がありました。

嘘をつかずに面接に挑んだ結果、一次面接・二次面接と通過し、最終面接も終え、最終的に内定をもらうこととなりました。

最初から嘘をつかずにありのままで挑めばよかったと後悔しましたが、まあなんにせよ内定をもらいました。

もう就職活動にも疲れたので、その会社に就職することにしたのです。

 

入社後すぐにホワイト企業を実感

入社してからは3ヶ月間の研修期間がありました。

研修期間を終え、営業部に配属となりました。

営業といえば数字のノルマが厳しく、たくさん残業したり、新規の飛び込み営業があったりなど、過酷な労働をある程度覚悟していましたが、実際はそんなこと一切ありませんでした。

定時で帰れますし、直行直帰も可能だったので、客回りを14時で終わらせて、仕事がすべて終わっていたらそのまま帰宅していましたし、なにかあってもたいてい電話一本で済んでいたのでそうしていました。

また数字に関しても、会社が業界内ではトップ企業だったため、私が特になにか特別なことをしなくても前年比を超え続けていました。

大学時代の友人たちの話を聞いていると、みんなたくさんサービス残業をしていたり、パワハラまがいのことをされて鬱になって会社を辞めていたり、ノルマに到達しなくて上司にたくさん怒られていたりと、なかなかしんどそうでしたが、私自身はつらいと思ったことがまったくありませんでした。

あぁ、これがホワイト起業か。と自分を取り巻く環境を実感するようになるまで、長い時間は必要ありませんでした。

ホワイト企業を辞めたくなったきっかけ

自分はすぐに替えがきく存在

営業部に配属されて4ヶ月ほど。

特に問題なく仕事をこなしていましたし、社内でも他の同期に比べると先輩社員に可愛がってもらっていました。

仕事が早く終わったときには昼間からパチンコを打ったり、営業車で昼寝したり、漫画喫茶に行ったり、銭湯に行ったり、野球観戦をしたり。

居心地がいい。

ずっとそう思っていました。

そんなある日、私は平日に2日連続で有給を取得しました。新入社員がですよ?笑
ホワイト企業ですよね。

平日の2日連続で営業マンが休むということは、顧客からしたら結構迷惑な話のはずですが、なんら問題なくその2日間を終えました。

自分がいようがいまいが、アシスタントがすべて処理してくれていましたし、顧客からしても、僕ではなく会社に連絡すればすべてものが解決してしまったのです。

そこでようやく、自分という存在が会社にとっても顧客にとっても、とても小さな存在であることに気付かされたのです。

そう思わせるほど、個人ではなく会社の仕組みが上手くいっていました。

この会社で働く個人は誰でもよく、簡単に替えがきく存在であったのです。

仕事が面白くない。

自分が会社以上の存在にならない、いわゆる歯車の一部であることに気付かされてからは以前よりも一生懸命働くようになりました。

しかし、一生懸命やればやるほど思うことがありました。

あれ、仕事は面白くないな…?

そうなんです。

身体的・精神的にはとても居心地が良かったですし、給料も同世代と比べると高かったのですが、「仕事」が面白くありませんでした。

そもそも就職活動時に、一生懸命選んでどうしても入りたいと思った会社ではなく、たまたま見つけてたまたま入っただけの会社だったので、仕事内容や取り扱う商品などには一切興味がありませんでした。

そのため、頑張って仕事をして、知っていることが増えれば増えるほど、この業界にまったく興味が湧かないことを痛感しました。

感謝されることがない。

一生懸命仕事に取り組んでいたある日、お昼ごはんを食べるために蕎麦屋に入りました。

落ち着いた雰囲気で、注文を聞いたり食事を出してくれる店員は丁寧で、思わず「ありがとうございます」と言ってしまいました。

そのときに、自分は仕事で「ありがとう」と言われ感謝されたことが一度もないことに気づきました。

自分が一日の半分ほどを捧げている仕事で、誰にも感謝されないということは、自分がこの世に与えている影響はまったくなく、それはつまり死にながら生きていることに他ならないのではないかと感じたのです。

刺激がない

仕事も特に面白くなく、誰からも感謝されることもなく、ただ一日一日が平穏無事に過ぎていく毎日。

そんな毎日だから、一日を終えてベッドに入っても、まったく充実感がありませんでした。

自分が求めているのは、ゆったりとした時間ではなく、毎日なにか刺激的な問題が起こり、それをバリバリに解決し、仲間や顧客から感謝され、一日の終わりに充実感とともに就寝することにあるのだと思い始めたのです。

先輩社員を尊敬できない

私はありがたいことに、先輩社員からある程度可愛がってもらっていました。

その中で彼らを何人も観察してみましたが、30代40代50代の彼らは、まったく魅力がありませんでした。

なぜなら彼らは、いかにサボっていることを上司や同僚にばれないようにするかばかり考えており、顧客満足であったり、世の中に対する良い影響を与えることもなかったからです。

このままこの会社に勤め続けていけば、いずれ自分もこういう種類の大人になって人生を終えていくのだと思うと、まったく受け入れられませんでした。

 ホワイト企業を辞めることを決意

これらのいくつかのきっかけがあり、日々モヤモヤしながら出勤していました。

このモヤモヤのそもそもの問題は、就職活動の際に自分がどういう働き方をして、どういう人生を歩みたいのか、想像力がまったく足りていなかったことにあります。

社会人になって、実際に経験して初めて自分が自分の人生に求めていることがわかりました。

それは、「毎日刺激的であること」「仕事自体に興味を持てること」「感謝されること」「自分で自分を誇れること」です。

そして入社から1年が経ったころ、本格的に退職に向けて準備を始めることにしたのです。