人生とはゲームである。
「人は何のために生きるのだろう。」
こういう思いは思春期には必ずといっていいほどみんなが考えることではないでしょうか。
当然私もその例に漏れず、大人になった今でもこういうことをよく考えます。
小学校高学年のころ、中学受験をしていた私は、塾に行く途中の道で「なぜ生きているのだろう」と初めて思ったのを今でもなぜだか不思議と覚えています。
あの日から、小学校の友達とは少し距離を置くようになったような気がします。
自分はキミたちよりも、ずっと大人なんだぞ。
そんな思いがあったのかも知れません。
なぜ人は生きるのかと、当時は小学生ながら真剣に考え、考え抜いたものの、結局答えなんかでないまま時間が流れました。
中学生になり、もう少し大人になってからは、「生きる」ということに対して、あるひとつの結論を自分なりに導き出しました。
それは、「人生とはゲームである。」ということです。
ゲームの真の勝者とは?
人生はゲームだ、と思った理由がなんだったかははっきりと覚えていません。
でも中学生のころは、この世界はわけのわからないくらいの巨人がしているゲームの中のものであり、自分はそのゲームに出てくるキャラクターのひとりなのだと考えるようになりました。
人生はゲームなのだから、生きることに価値なんて特になく、ただ流れていき、死んだらゲームオーバー。
そういうものだと中学生のころは思っていました。
高校生になり、大学受験に向けて塾で一人机に向かっていると、やはりまた自分自身の人生とはどういうものだということを考える時間がどうしても増えていきます。
そういう時間が増え、私の「生きる」ということに対しての考え方も少しずつ変化がありました。
「生きることはゲームである」という考え方のベースは変わりませんでしたが、「ゲーム」の定義が少し変わりました。
中学生のころまでは、「ゲーム」とはただの無駄な時間程度にしか思っていませんでした。
高校生になると少し変わり、「ゲーム」とは楽しんだものが真の勝者であるという考え方になりました。
例えばTVゲームであれば、友人と対戦して勝ったほうが勝者となるわけですが、そのゲームをしている時間そのものを楽しんでいる者のほうが人生においては真の勝者であるといえるのではないかと考えるようになったのです。
少し抽象的ですが、要するに与えられた時間を無駄なものだと言ってすれた目で見て過ごすのではなく、本気でその時間を楽しんだ者の勝ちであるってことです。
もっと言い換えれば、「今」を楽しむということです。
こんなことは自己啓発本に散々書かれている内容で二番煎じでしかありませんが、逆にいえば高校生ながら気づけたことは私の人生の中でも大きな財産となっています。
このことに比較的早い段階で気づけたので、30歳手前になった私は、それなりに後悔のない人生を送っていると自分では思っています。
目の前にある仕事をがむしゃらにこなし、家族のためにできることをすべて全力でやっています。
もしかしたら、損しているかもしれないな、と思うこともありますが、その場は辛くても寝るときには充実感に溢れています。
勝者と敗者それぞれの特徴
さてここで、私の「人生=ゲーム」理論のルールと、勝者と敗者になりがちな人たちの特徴を紹介します。
「人生=ゲーム」の「ゲーム」とは
ゲームとは、「今」のことである。
ゲームの勝者
まさに今の自分を客観視して、楽しんでいること。
ゲームの敗者
まさに今の自分を客観視して、面白くなかったり退屈を感じること。
勝者になりやすい人の特徴
1.「他人のからどう思われているか」よりも、「自分がどう感じているか」を重視できる人。
2.自分の興味で動けて、なおかつその行動によって他の人もゲームの勝者にできる人。
3.行動の目的が、自分「だけ」のためではなく自分「たち」のためである人。
4.今やっている「ゲーム」が楽しめなければ、すぐに環境を変えて新しい「ゲーム」を始められる人。
敗者になりやすい人の特徴
1.いつも他の人にどう思われているかばかりを気にする人
2.やりたいことがあるのに、やらない言い訳をしてなにも始めない人
3.いつも自分「だけ」のために行動する人。
4.面白くないと感じていることをやり続けて悲劇のヒーロー気取りの人。
ざっとこんな感じでしょうか。
さて、ゲームの敗者になりやすい人の中でも、特に4番に当てはまる人は実は多いです。この4番に当てはまる人が、人生というゲームの勝者ににはどうすればいいか。
やってるゲームを変えればいいんですよ。
要は、環境を変える。
環境を変えればそこで新しいゲームが始まるわけです。
それが面白ければ全力で楽しめばいいのです。
生きるということは、目の前にある出来事を楽しむこと。
みなさんもやってみてはいかがでしょうか。